雨の子供たちは槍振りはしゃぐ

JUGEMテーマ:ものがたり

 

 嵐が近づいている。巨大な渦が、腹を空かした熊のように無邪気に両腕を振り上げている。それは必ず振り下ろされるだろう。構えられた銃からは、必ず弾丸が発射されるように。例外はない。想定外もない。埒外もない。だから闘牛場の地面に渦が描かれる。何重にもぐるぐるととぐろを巻く渦が描かれる。そこに、雨の子供たちを迎え入れるために。

 雨の子供たちは専用の衣装に身を包み、渦によって開かれ閉じられた闘牛場にやって来る。その衣装は色彩豊かで煌びやかで、異世界的だ。異世界に迷い込み帰還した仕立屋が制作したのだという。その仕立屋はもうこの世にいないので、彼が見た異世界がどんなものだったかのか、詳細を知る者はいない。ただその衣装は雨と子供たちを化学反応させ、雨の子供たちに変態させる装置としてふさわしいことを疑う者はいなかった。

 雨の子供たちの変態度は三つのステージに別れている。年少の子らは、衣装の裾にだけ不可思議な入れ墨のような紋様がある。それよりも少し上の子らには、裾と袖に入れ墨の紋様があり、年長の子らには裾と袖と襟に入れ墨の紋様がある。これは子供たちのスキルの熟練度を表しているわけではない。ただ単に雨の子供たちとして衣装を纏った回数で変わっていくのだった。つまり変態度はどれだけ衣装を纏ったかによって変わっていくことになる。衣装が装置であることが、このことからもよく解る。

 雨の子供たちは手に槍を持つ。必ず自身の身長よりも長い槍を。黒檀の槍の先端には翡翠の勾玉が仕込まれている。槍というが何も貫くことは出来ない。目に見えるものは。しかしその槍が貫くものは目には見えないものなので、特に問題はなかった。では何を貫くのか。子供たちはその答えを知らない。大人たちもまた、その答えを知らない。その答えを知る者はいないのか。槍だけが、その答えを知っていた。槍だけが、自身の宿命を正確に理解していた。つまり雨の子供たちは、槍のために槍を手にしているのだ。子供たちは槍を振り回しはしゃぐけれど、それは自身がはしゃぎたいからはしゃいでいるわけではない。槍がはしゃぎたいと願っているので、そうせざるを得ないのだ。本当は、子供たちは皆石ころになりたいと思っている。けれどそのためには感情を溶かし、心を裏返さなければいけない。それはとても難しく、成功した子供はまだ一人もいない。

 嵐が近づいている。雨の子供たちは槍を振り回す。歓声を上げ、はしゃぎ踊る。激しい足捌きが地面に描かれた渦を掻き乱していく。渦が乱されるということは、その螺旋が槍に取り込まれるということだ。そしてそれこそが、嵐が近づいているときにしか出来ないのだった。つまり全ては槍のため。槍が螺旋を内に溜め込むため。溜め込まれた螺旋がどうなるのか、溜め込んだ槍がどうなるのか、そもそもこの行為がいつから始まったのか、槍がいつから存在したのか、何故槍を振る子供たちが雨の子供たちと呼ばれるのか、それらを知る人物はいない。曽てはいたのかどうかも解らない。

 仕立屋は知っていただろうか。その可能性は否定できない。

 とにかく嵐が近づけば、雨の子供たちは槍を振りかざし、振り回し、槍に従ってはしゃぐ。これまでも、これからも。

 

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