キツコ

JUGEMテーマ:ものがたり

 

 私がまだ小学生の低学年の頃だったと思います。家のすぐ裏の里山の中で、私は迷子になってしまいました。小さな里山で、迷うはずなどなく、道だって一本しかなくて、どちらの方向に歩いても、子どもだった私が歩いても、10分もすれば出られるはずの里山だったのに。今はもうこの里山はありません。取り除かれ、整地され、住宅が建ち並んでいます。だからもう、今の子どもたちは迷ったりはしないでしょうね。

 学校から帰ってきてから里山に入ったので、程なく日が傾いているのが解りました。木々の向こう側にまばらに見える空が、茜色と琥珀色をぐるぐると絡めたような色に変わっていました。それを知った途端に、私はとても怖くなりました。何か得体の知れないものに食べられてしまうのではないだろうかという怖さでした。私はもう歩くことが出来なくなり、その場で立ち尽くし、ただ周りを見回すことしか出来ませんでした。あるいはどこも見つめたくなくて、どこからも眼をそらそうとしたら、自然と見回すことになっていたのでした。

「迷子だね」

 いつの間にか、目の前に見知らぬ女の子が立っていました。私と同じくらいの年で、とんがった顎が特徴的な顔の子でした。色とりどりのアゲハチョウが描かれたワンピースを着ている子でした。少し赤みのある黒髪をおかっぱに切りそろえた子でした。

「人狼に、狙われているんだね」

 そう言って、女の子は笑いました。笑うと眼が大きく傾いた半円になる子でした。

「助けてあげるよ、友達だからさ」

 その意味が、私には解りませんでした。その女の子と会ったのは初めてでしたから。私はだから何も答えられずに、ただ首を傾げてしまいました。

「知ってるよ、表の家の子だろう? よくここで遊んでいるよね。私はここに住んでいるキツネなんだよ。ずーっと昔からここに住んでるキツネでキツコというんだよ」

「キツコ?」

「そう、キツネのキツコ。いい名だろう? とても気に入っているんだよ」

 キツコは愉しそうに言います。その顔を見ていると私まで愉しくなってきて、笑ってしまいました。

「おまえはね、人狼に結界を張られてしまって抜け出せなくなっているのだよ。私が助けてあげるよ。私はね、位の高いキツネだから、従える使いの者もたくさんいるからね、大丈夫だよ」

 キツコが右手の人差し指で、何もない空間に何かの文字を書きました。するとそこに半透明のキツネが現れ、すぐに私の姿になりました。私の姿に変わっても、まだ半透明なままでした。

「これでいい。おまえは私とお出で」

 私はキツコに手を取られ、大樹の裏に隠れました。小道に半透明の私を残して。するとすぐに、その半透明の私に誰かが近づいてきます。大きな男の人で、首がとても短い人で、とても汚れた人でした。その人は半透明の私に手を伸ばし、何か言葉を発します。けれどその声はとても汚れていて、だからその言葉もとても汚れていて、私には何を言っているのか全然解りませんでした。首の短い汚れた人は、半透明の私を抱き締めようとしました。その瞬間、半透明の私がキツネに戻り、奇声を上げて口を大きく開きました。とても大きく、裂けるのではないかと思うくらいに大きく。そして、その首の短い汚れた人を一口で食べてしまいました。

「さあ、もう大丈夫。人狼は消えた。ずたずたに破られてしまったからね。いつものようにお帰り。そしてまた遊びにおいで」

 キツコに背中を押され、私は歩きだしました。そしてすぐに里山を抜け、家に戻ることが出来ました。

「キツコのおかげで、私は人狼に食われずに済んだのです」

 老婦人はそう言って、遠い目をした。

「キツコは、今はどうしているのでしょうね」

 窓の外には、宵の明星が煌めいていた。

 

スポンサーサイト

コメント