無敵と恐れ

JUGEMテーマ:ものがたり

 

 私は岬に立っている。岬の先端に立ち尽くしている。一歩踏み出せば、数十メートルの距離を落下することになるだろう。海面は固い岩盤となって私を砕くだろうか。それとも遙かな深みに速やかに引きずり込むだろうか。風が正面から吹いている。だから私は踏み出すことはしない。もし風が背後から吹いていれば、それを私は啓示と考えたかもしれない。そして宙を舞っていたかもしれない。藻屑となるために。

 鳥が浮遊している。見たことのない鳥だ。胴や頭の大きさに比べて、両翼の大きさが不釣り合いに大きすぎる。碧瑠璃色の鳥は、大きすぎる翼に風を孕ませ高度を保っている。私はその鳥に惹かれ、じっと見つめる。鳥もまた、輪を描いて浮遊しながら私を見つめているように思える。何かを与え、別の何かを与えられたような気がした。鳥がゆるやかに降下し、私の頭の上に留まった。その瞬間、私はその鳥になっていた。

 風に煽られ私は上昇する。岬の先端には誰もいない。そこにもう私はいない。私の肉体も、この鳥に引き込まれたのだろうか。統合されてしまったのだろうか。それとも藻屑になったのか。何にしても、私は何の違和感も感じずに飛翔していた。陽光の熱を感じ、惑星が放つ方位を感じ、空気に織り込まれた匂いを感じる。気持ちが高揚して、私は海面に向けて急降下。そして水面に激突する寸前に翻る。翻った。翻ったはずだった。けれど闇に包まれている。そして次の瞬間、私は鯱になっていた。

 私は食われ、食っている。腹が減っていたという感覚はない。ただ獲物を感じたので狩っただけだ。狩るということは、生命活動そのもであり、娯楽でもあった。すなわち、生命活動と娯楽はイコールだということ。どちらが欠けても、私は私を、私の生命を失ってしまう。食って生き、食って楽しむ。食うこと、生きること、楽しむことに飽きてしまったら、そのときには私は死ぬのだろうな。と考えていたら、いつの間にか死んでいた。

 沈む私を、様々な他者が取り込んでいく。私の身体は果てしなく拡散していく。身体以外の私は、水に溶けだしていく。棚引いて裾を広げ続ける私は、流れになり波になりうねりになり、雨になる。雨になるともう、際限なく自由だ。気持ちも思考も開放され、ただただ笑いながらダイブ。爆笑しながらダイブ。無欲となってダイブ。そして地面に染み込む。

 土に染み込んだ私は、その土を泥に変える。泥になった私は四肢を伸ばして立ち上がり、人に、もとの私に戻る。泥になってしまったら、もう人に戻るしかないのだから。仕方なく私は私に還る。そして岬の先端まで歩いていき、そこに立ち尽くす。また、一歩踏み出すかどうかを考え始めなければいけない。

「つまりまあ、その繰り返しなんだ」

 横たわる師匠はそう言って、疲れたように目を閉じた。呼吸がとても苦しそうだった。

「それで、その感じを形にしたんだよ。そのまま正確に、想いのままに」

 師匠は枯れた指先で枕元を差す。焼き上がった器がそこにあった。

「無敵と恐れ」

「無敵と恐れ?」

「この器の名だよ」

 碧瑠璃色に金の煌めきが散りばめられた器だった。

「それじゃあな」

 軽く言うと、師匠は呼吸を止めた。師匠らしい逝き方だなと思った。

 

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