岬という顕在性

JUGEMテーマ:ものがたり

 

「私は王ではありません」

 山羊の頭蓋骨の男は言う。言葉は世界の外側からインパクトドライバーでねじ込まれたように響いた。彼がこの世界の法則に従う必要はないのだということが、表現されている響きに違いなかった。もちろんそれは彼が全てを掻き乱す存在だということではなく、つまりそんな単純で稚拙なルールではなく、彼は従っても良いし従わなくても良いという裁量権を有しているということだ。僕はそれを羨ましいとは思わない。盲目に従う方が遙かに容易く安静だということをよく知っていたから。

 山羊の頭蓋骨の男は、山羊の頭蓋骨の仮面を被っているというわけではない。頭部が山羊の頭蓋骨なのだ。完全に、完璧に、潔く。頭蓋骨の内側には闇が満ちている。そこには未知の方程式が埋もれているように思えたけど、闇はとても濃く、それは全く見えない。気配さえも感じられない。思わず眼窩から指を入れてそれを探ってみたくなる。でもそれは僕の使命ではないだろう。

 山羊の頭蓋骨には角がなかった。風に巻き上げられたのか、雨に沈められたのか、自らの手によって砕かれたのか、それは解らないけれど、その不格好さを補うためであるかのように、頭蓋骨の天辺には王冠がのせられていた。傷だらけで曇った銀色の王冠。宝飾類による装飾は一切なく、簡素な玩具のような王冠だった。

「王ではないが、言の葉を引き下ろすことは出来るのです。天上のさらに高みから」

 山羊の頭蓋骨の男は空を指差し、私を指差す。青い草原の真ん中で、桃色の空の下で、男と僕は対峙している。いつから、何故こうしているのか、その有力な仮説は男の頭蓋骨の中に秘されていて、つまり山羊の頭蓋骨の闇に頑丈に包まれていて、僕に覗き見ることはできない。そのことに、それほど興味もなかったけれど。本心を言うと、僕は少しがっかりしていたのだ。男の頭蓋骨から角が失われていることに。それがないだけで、男は何だかか弱く見えてしまう。とても高級そうなスーツを纏っているのも関わらず。王冠は角の不在を強調しているだけで、寂しく滑稽なアイテムでしかなかった。

「生命とは岬なのです。それはすなわち接する場所です。寄せては返す境界です」

 男が両手の人差し指を両方のこめかみに置き、微かに首を傾げる。すると風景が一変し、全てが早送りされたように一変し、僕たちは砂浜にいた。接する海は鏡のように凪いでいて、空の桃色に染まっていた。

「角はどうしたんです?」

 僕は問うことを我慢しきれなかった。

「角?」

「角がなければあなたの顕在性は完成されないし、岬の顕在性だって完成されないでしょう?」

 その瞬間、空から角が僕を目掛けて高速で落下してくる。それは光速ではなかったし、そんな気もしていたから、僕は一歩ずれてみる。角はさっきまで僕がいた場所の砂に突き刺さる。

「そんな、では私ですか?」

 男がそう叫んだときには、既にその胸に角が深く突き刺さっていた。そして男は背中から砂浜に倒れた。この世界の法則に従って。衝撃は全て砂に吸収され、水面を揺らすことはなかった。

 僕は山羊の頭蓋骨を拾い上げ、海へと投げる。着水したそれが美しい波を、真円の波を広げた。これこそが岬の顕在性だろう、と僕には思えた。

 角は、持ち帰ることにしよう。

 

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