ふたえあくび

JUGEMテーマ:ものがたり

 

 大陸西端の小さな都市では、毎年春分の日に不思議な現象が起こるのだそうだ。その現象を体験取材するために、私は西端の都市まで出かけていった。もちろん春分の日に。

「その現象は、『ふたえあくび』と呼ばれています」

 私を迎え、案内をしてくれる役場広報課の女性が言う。彼女はこの都市の出身で、ずっとこの都市で暮らしてきたのだそうだ。年齢は訊かなかったけれど、外見からは30代半ばに見えた。

「ふたえあくび? どういった意味ですか?」

「重ねる二重に、生理現象の欠伸です。つまり二重の欠伸ということですね」

 そう説明しながら、彼女は海を指差す。私たちはその都市の中心部に位置する大きな港にいたのだった。

「海の欠伸なのだそうです。この現象は中世の歳時記にすでに記載されています。おそらくそれ以前から起こっていた現象なのだろうというのが、研究者たちの一致した見解です」

「海が欠伸をするのですか?」

「ええ。その歳時記によると、大海が大気の渦を取り込んで溜め込んで、膨れ上がるのだそうです。そしてそれは大海の展開であり大気の展開なのだそうです」

「うーん、よく解りませんね」

「はい。実は私もよく解りません。研究者たちは色々な読み解きをしているのですが、どれもこの現象のメカニズムをはっきりと説明できません。だから真相もまだ謎のままなんです。困ったものです」

 全く困った表情ではなく、むしろ愉しそうに広報課の女性は肩を竦めて見せた。

 太陽はすでに水平線に没していたけれど、夜と言うにはまだ明るい空と海が私たちの目前に広がっている。背後を振り返ってみたけれど、まだ満月の姿は見えなかった。あるいは密集する都市の建築物の群れに隠されているのかもしれない。

「そろそろ来ますよ。満潮時刻ですから」

 広報課の女性が言った次の瞬間、目の前の海が急激に盛り上がり、それを確認したと思ったときには、すでに私たちは、そして港も、さらには都市全体が、その建築物群の天辺まで水没した。

 衝撃など微塵もなかった。海に飲み込まれたはずなのに苦しくもなかった。液体の感覚はあるようなないようなといった程度で、私たちは普通に立ち、普通に呼吸し、むしろそこはかとない昂揚を感じていた。

「これがそうなのですか?」

「ええ、これが『ふたえあくび』です」

 普通に声が出たし、会話も出来た。普通ではないのは気持ちだけだった。何というか、心地よすぎて笑い出しそうな気分になっていた。

「大海の展開と大気の展開が二つ重なっているという意味で、『ふたえ』なのですか?」

 笑い出すのをこれながら、私は尋ねる。

「いいえ、違います。アハハハ」

 答えながら、広報課の女性はすでに笑い出している。

「二重の一つは海から来る欠伸、つまり今私たちが包まれているこれのことです。そしてもう一つは私たちの欠伸のことです」

「私たちの欠伸? それはどういう意味ですか? ハハ、アハハハ」

 そう言いながら、私もこらえきれずに笑い出していた。こんなに快活に笑ったのは、久しぶりだ。

「何故『あくび』というのかも、まだ謎のままなんです。困ったものです。アハハハハハ」

「そうですか。それは困りましたね。アハハハハハ」

 潮が引くまで、私たちは笑い続けた。もちろん私たちだけではなく都市の全ての住人がそんな状態だった、ということもつけ加えておく。

 

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