もんどり打つキャタピラのような

JUGEMテーマ:ものがたり

 

 ポッペン、ホッペン、コッペン。とビードロのような音色が聞こえる。この音を聞くのは40年ぶりだ。40年前にこの音を聞いたとき、私は13歳だった。それは祖父の命が霧散しようとしていた夜のことだった。確か満月の夜だったと思う。或いは一日二日満月からはずれていたかもしれないが、満月に近い夜であったはずだ。冷めた金色の光が風景に満ちあふれていた夜だったから。

 私はその日、母と共に祖父母の家を訪れていた。祖父の臨終が迫っていたのだ。その知らせを受けて、祖父を看取る者たちの一人に加わるために。集まった親族たちは、入れ替わり立ち替わり祖父の枕元で様子を窺っていたが、私はただただ退屈な時間を過ごし、いつの間にか居間の炬燵でうとうとしていた。

『ポッペン、ホッペン、コッペン。ポッペン、ホッペン、コッペン』

 どこからか、そんな音が聞こえてきて目が覚めた。外からの音のようだった。私は炬燵を出て、家の外に向かった。玄関先に祖母が立っていた。強い月光に背中が輝いて見えた。一瞬、この世の者ではないように思えたほどに。私は祖母の後ろでたじろいでしまった。

「音色が、聞こえるのかい?」

 私に気づいた祖母が、振り返って言う。

「うん、お祖母ちゃんも?」

 祖母は力なく首を振る。

「いいや、わたしには聞こえないよ。お祖父ちゃんが聞こえると言うから、出てきてみたのさ」

 私は祖母の隣に並び、明るい夜の風景を眺めた。何かに違和感を感じていたがそれが何かは解らなかった。

「我が一族のね、直系の男子の、さらにその一部の者にだけ聞こえるのだよ。おまえももう元服の年だから、聞こえるのだろうね」

 祖母の話を聞きながら、私は違和感の正体に気づく。それはカエルだった。ここでは盛大なカエルたちの鳴き声が毎夜響いていたのに、今夜は全く聞こえない。静かすぎたのだ。

「今日は、カエルが鳴かないね」

「そうだね。カエルらも身を潜めているのだろうね。怖いのかもね」

「何が?」

「さあ、それはわたしには見えないから、どんな姿なのかは解らないねえ。おまえには見えるはずだから、ようく目を見開いているんだよ。もう直ぐにやって来るはずだから。お祖父さんがそう言っていたから」

 祖母の言う通り、それは直ぐに現れた。正面の山の方からこちらに向かって、ずんずんと近づいてくる。銀色のキャタピラのように回る帯の輪だった。時々身悶えるように全体をうねらせながら、私と祖母に迫ってくる。近づくとその帯は煙のような揺らぎを纏っていた。月光を弾き、その金の粒子を散りばめた銀色の揺らぎを。私は祖母に身を寄せる。

「見えるんだね?」

 祖母が私の手を強く握った。私もその手を強く握り替えした。

「来る」

 私は潜めた声で叫ぶ。

 銀色のキャタピラは私たちの目の前で跳躍し、その回転はそのままに、さらに全身をもんどり打たせながら祖父母の家の屋根を跳び越える。回転する回転が、月光を攪拌するのが私には見えた。その攪拌に紫色の煙が巻き込まれるのも見えた。その紫は、祖父母の家から湧き上がった煙だった。「さよなら」と私は心の中で囁いた。

 銀色のキャタピラは、そのまま背後の山の中に消えた。それから程なく、母が祖母と私に祖父の死を知らせに来た。

 

 そして今夜、父がこの世界から旅立とうとしている。さっきからビロードのような音色が聞こえ始め、段段と大きくなっている。私は我が家の玄関先に立っている。中天には大きな満月が有り余る光を放っている。きっともうすぐ銀色のキャタピラが現れるのだろう。もんどり打って、我が家を跳び越えるのだろう。

 

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