hide-and-seek

JUGEMテーマ:ものがたり

 

 その街は十年前に水没していた。十年間水面下に没したあと、今朝浮上したばかりだった。だからその街に人間の姿はない。人間というものが存在していた気配があるだけだ。それは石造りの家であり、家具であり、旗だ。たくさんの旗が、久しぶりに風を孕んで踊っていた。十年間水流による緩慢なはためきしかできなかった憂さを晴らすように。旗には紋章が織り込まれていて、それぞれの紋章にはもちろん意味があったけれど、それを知る人間はもういない。

 街は小さな人工島の上にあった。浮上した人工島は、橋で本土と繋がる。早朝に、その橋をわたってたくさんの猫が人工島に侵入した。猫たちはひらりひらりと駆け、街中を彷徨う。そうして建物と建物の狭間や、袋小路の物陰や、薄暗い屋内の暖炉で濃い影を見いだす。それは普通の影とは違う。かつて暮らしていた人間という存在の残り滓のようなものだ。あるいは、人間という存在の、その想いの絞り滓のようなものだ。どちらにしても滓だけど、猫たちにとってはご馳走だった。十年に一度だけありつける珍味だった。

 それぞれの場所で猫たちは忍び寄っては濃い影に爪を立て、躊躇なく食らう。あちらこちらを夢中で探し、何度も何度も食らった。濃い影たちはじっと身を潜めていたけれど、その多くが猫たちの餌食となった。

 猫たちは愉しかった。濃い影を食らい満腹になることがではない。隠れている濃い影を見いだすことがだ。猫たちにとってそれは遊戯だった。実は濃い影にとってもそうだった。そこに殺戮はなかった。猫に食われた濃い影は、すぐに猫の身体全体から滲み出て猫の影に一端染み込み、そこからふらふらと漂い出てまた適当な場所に隠れる。それが何度も繰り返される。そういう遊戯だった。

 猫たちはその遊戯の中で、人間という存在の欠片を感じる。濃い影は、自身がかつて人間という存在を構成する何か、たぶんとても微妙な何かであったことを感じた。

 夕刻までそうやって戯れ合ったあと、猫たちはまた橋をわたって人工島から去って行く。太陽が沈み、月が昇り始めると同時に、街はまた水面下に没していった。還っていったのか、旅立っていったのか、それは解らない。十年後の浮上が帰還なのか、訪問なのか、それもよく解らない。ただそのときも、また猫たちと濃い影は戯れ合うことになる。

 街が沈みきる瞬間、紋章の旗たちが少し寂しそうに見えた。

 

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