2021.09.07 Tuesday
Cynic wings
JUGEMテーマ:ものがたり
朔月を二日ばかり過ぎ、空の月は血なまぐさく尖っていた。何もかもを切り裂けるオーラが、その痩身から放たれる月光に織り込まれている。それは不可思議な微振動で、それが夜気を伝わって、私の皮膚を震わせる。くすぐりに似た、けれど確実に微細な傷を刻んでいた。痛みはある。それを感じてはいる。でも、それが心地よかったりもした。血を流すことが好きなわけではないけど、血の流れない日々は甘すぎて覚醒することがないのだ。
「あなたの翼は、今日も綺麗ね」
姉様が、私の背中に香油を塗る。それが乾く前に、月光を取り込んで皮膚に定着させている。ひんやりとした感触、清浄な香り、それらが私を過剰な覚醒へと導いた。
「本当に、綺麗な翼だわ」
うっとりとした声で、姉様は笑う。夜気を揺らがせ、この夜を彼方の夜と繋げるような声だった。そうして、あるべき世界を砕こうとしているようだ。でも彼女に悪意はない。ただ奔放なだけなのだ。
「さあ、私の翼も撫でてちょうだい」
姉様が横たわり、私が身を起こす。裸の背中に香油を垂らし、丁寧に塗り込む。
「私の翼はどう? 綺麗?」
「ええ、綺麗だわ。いつものように」
その背中に翼などない。もちろん私の背中にも翼などない。
「輝いているかしら?」
「ええ、輝いているわ」
「七色に輝いているかしら?」
「ええ、七色に輝いているわ」
毎夜繰り返す同じ会話。私はただただロボットのようにそれを繰り返し、香油を塗る。心地よく、姉様を眠らせるため。優しく、慎重に彼女の背中を撫で続ける。やがて低い寝息。硬く目を閉じ、眉間に皺を寄せ、彼女は苦しそうに眠りに沈む。それを確認して、私も傍らに横たわる。目を閉じ呼吸を整える。浅い眠りに一時だけ身を浸す。
「ねえ、もう寝たの?」
珍しく、姉が目を覚ました。一度眠りに沈んだら、昼過ぎまで目覚めることがないのが常なのに。
「ねえ、眠ってしまったの。こんなに相応しい夜なのに」
私は答えない。一定の呼吸を、ロボットのように繰り返す。
「そう、眠ってしまったのね。なら良いわ。あなたは明日の夜に飛びなさい」
姉様が、ベッドから出て行く気配。そして窓から身を投げる気配。私はそれでも目を開かない。外から鈍い衝撃音が聞こえたように思えたけど、それでも目を開かない。
明日の夜に、私が飛ぶことはない。私は翼を有していないのだから。
過剰な覚醒を、私はようやく砕く。