Cynic wings

JUGEMテーマ:ものがたり

 

 朔月を二日ばかり過ぎ、空の月は血なまぐさく尖っていた。何もかもを切り裂けるオーラが、その痩身から放たれる月光に織り込まれている。それは不可思議な微振動で、それが夜気を伝わって、私の皮膚を震わせる。くすぐりに似た、けれど確実に微細な傷を刻んでいた。痛みはある。それを感じてはいる。でも、それが心地よかったりもした。血を流すことが好きなわけではないけど、血の流れない日々は甘すぎて覚醒することがないのだ。

「あなたの翼は、今日も綺麗ね」

 姉様が、私の背中に香油を塗る。それが乾く前に、月光を取り込んで皮膚に定着させている。ひんやりとした感触、清浄な香り、それらが私を過剰な覚醒へと導いた。

「本当に、綺麗な翼だわ」

 うっとりとした声で、姉様は笑う。夜気を揺らがせ、この夜を彼方の夜と繋げるような声だった。そうして、あるべき世界を砕こうとしているようだ。でも彼女に悪意はない。ただ奔放なだけなのだ。

「さあ、私の翼も撫でてちょうだい」

 姉様が横たわり、私が身を起こす。裸の背中に香油を垂らし、丁寧に塗り込む。

「私の翼はどう? 綺麗?」

「ええ、綺麗だわ。いつものように」

 その背中に翼などない。もちろん私の背中にも翼などない。

「輝いているかしら?」

「ええ、輝いているわ」

「七色に輝いているかしら?」

「ええ、七色に輝いているわ」

 毎夜繰り返す同じ会話。私はただただロボットのようにそれを繰り返し、香油を塗る。心地よく、姉様を眠らせるため。優しく、慎重に彼女の背中を撫で続ける。やがて低い寝息。硬く目を閉じ、眉間に皺を寄せ、彼女は苦しそうに眠りに沈む。それを確認して、私も傍らに横たわる。目を閉じ呼吸を整える。浅い眠りに一時だけ身を浸す。

「ねえ、もう寝たの?」

 珍しく、姉が目を覚ました。一度眠りに沈んだら、昼過ぎまで目覚めることがないのが常なのに。

「ねえ、眠ってしまったの。こんなに相応しい夜なのに」

 私は答えない。一定の呼吸を、ロボットのように繰り返す。

「そう、眠ってしまったのね。なら良いわ。あなたは明日の夜に飛びなさい」

 姉様が、ベッドから出て行く気配。そして窓から身を投げる気配。私はそれでも目を開かない。外から鈍い衝撃音が聞こえたように思えたけど、それでも目を開かない。

 明日の夜に、私が飛ぶことはない。私は翼を有していないのだから。

 過剰な覚醒を、私はようやく砕く。

 

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