stand alone

JUGEMテーマ:戯言

 

 私は立っている、両足で、天を見つめ、青空に雲が欠片も見当たらないことに歓びを感じながら。その青は、異次元にシームレスで繋がる青だ。こちらから電波を飛ばせば、必ず返事が来るだろう。向こう側にありえない瑠璃を感じさせる青だ。私によく似た誰かが、電波を受け取ってくれるだろう。その私によく似た誰かも、私を欲しているだろう。

「ハローハロー」

 私は呟いてみる。叫ぶ必要なんてない。私は瑠璃と繋がり、その瑠璃は私によく似た誰かと繋がっているのだから。糸電話みたいな方程式がすでに成立していて、私たちは結ばれている。糸を走る火球が、この次元とあの次元を寄り添わせようとする。だから私は呟き、そして耳を澄ませばいいのだ。それもこの風景に対してではなく、私の内側のトライアングルに。

「レリン、ロレリーン」

 そのトライアングルの響きは螺旋を描き、巴に戯れる子猫たちのような螺旋を描き、真っ直ぐに中天へと上昇していった。その上昇が風を呼ぶ。青を薄く薄くスライスした透明な風。それがタイトな堤防に沿って疾走する。生まれたばかりの鬼の子のように。まだ色を纏わず、殺戮も知らない鬼の子のように。堤防の上に立つ私は、少しだけよろめく。この世界には、確かなものなんて何一つないのだと、私の皮膚を撫でた風が告げたような気がして。あなたは今も過去もこれからも、風景から乖離し続けているのよ。と教えられたような気がして。

 それは本当に風だっただろうか。あるいは異次元の、私に似た誰かからのメッセージだったかもしれない。私の内側の響きが、風景に木霊しただけかもしれないけれど。

「どちらでも同じかしら。同じではないから、同じなのかしら」

 私は囁き、片足を上げる。一本の脚で立ち。アンテナの気分を味わってみる。アンテナの方が、きっと異次元からの返信を逃さずキャッチできるだろうから。いや待って。私はまだ挨拶しか発信していなかった。意味のある、価値のある、機微のある返信を得るためには、まず私がそういうものを発信しなければいけないだろう。つまりどんなものを。例えばこの風景の些末な欠片とか。それとも私が抱く世界の濁りとか。それとも、さっき切り裂いた左腕の傷とかに滲み溢れる血についてとか。そのどれのも意味はないな。そのどれにも価値はないな。

「何もないな」

 私は四つん這いになり、微かな声を、生まれたばかりの鬼の子のような声を吐き出す。

 

使役巨人

JUGEMテーマ:ものがたり

 

 取り急ぎ、近況をお知らせする。僕は今遥かに遠い場所にいる。文化も言語も全く違う場所だ。君と最後に会ってからずっとずっと移動を続け、ようやく辿り着いた場所だ。といっても、ここが僕の目的地であったのかというと、それはまあ何とも言えないけど。とにかくここは不可思議な場所だ。まずもって空気が違う。これはもちろん成分やその比率が違うという意味ではないよ。何というか、皮膚に纏わりつく感じが違うのだ。君のいる場所、すなわち僕が生まれた場所では、空気はここより優しかった。呼吸することに慎重にならなければいけない、なんてことはなかったものね。でもここでは、油断禁物だ。何の戦術もなしに呼吸をしてはいけないんだよ。常に世界と相対していることを意識しながら呼吸をしなくちゃいけないんだ。だから慣れるまでは大変だったよ。自分の肺が、あるいは自分の心臓が、常に世界と競合しているような気分になったっものだ。今はまあ慣れたから、僕の輪郭を攫おうとする空気を受け流すことが出来るようになったけどね。

 今日、巨人を見たよ。この場所の人たちが、使役巨人と呼ぶ巨人を。全長は、そうだな、10mあるかないかといったところかな。かなりの重量があるように見えるのに、決して地面を震わすようには歩かないんだ。かといってふわふわとした感じで移動するわけではないよ。何というか、かちりかちりと地面と噛み合うような、もちろんかちりかちりという音はしていないけど、でも噛み合うような感じで歩くんだ。歩くといっても一歩の歩幅がすごいから、あっという間に行き過ぎてしまったけど。そういう存在が、これだけではなくてもっといろいろとこの場所にはあるのだけど、全てを書こうとすると長くなるから、今日は使役巨人のことだけにするね。

 使役巨人は真っ白な身体をしていたよ。光沢が強くて、陽光を激しく反射していた。だからどこか宝石のようにも思えたよ。形は二本の腕と二本の脚で、僕らと大きくは変わらない感じ。でも両腕が長いんだ。気をつけをすればふくらはぎに触れるくらいまであるのじゃないかな。衣服は革のような素材の短いパンツを履いているだけで、その身体は筋骨隆々の立派なものだった。弾丸や大砲さえも弾き返せるように思えるくらいにね。巨人は巨大なトラックを引っ張っていた。トラックの荷台にはこれまた巨大な岩がいくつか積載されていた。そのトラックから伸びる太いロープを握り、全身の筋肉を張り詰めて、かちりかちりと歩いていたんだ。大変なはずなのだけど、動きはそう見えない。表情は、陽光の反射が強すぎてよく見えなかった。だから巨人が辛さや、あるいは痛みなんかを感じているのか、それとも特に苦労もなくその役割をこなしているのか、よく解らなかった。

 ひょっとしたら、巨人は高揚していたかもしれないな。喜びを感じたりしていたかもしれないな。というのも、巨人が通過した一瞬だけ、空気が優しくなったように思えたから。僕の皮膚が翼のような何かで包まれたような気さえしたから。

 本当にここは不可思議な場所だよ。

 じゃあ、また連絡するね。

 親友からの長いメール。彼はいったい今何処にいるのだろう。同じ惑星の何処かにいるのだろうか。僕は次のメールを待ちわびている。

 

オランウータンとシンパシー

JUGEMテーマ:ショート・ショート

 

「ただいまー」

「おかえりなさい」

「ねえ、今日さ、面白いショートムービーを見たんだ、職場で」

「職場でショートムービー見てもいいの?」

「まあ、その辺りはグレーゾーンだから触れないで」

「そうなんだ、じゃあスルーする」

「でさ、森の奥深くにオラウータンマシンというのがあるわけ。姿かたちは暗くてよく解らないんだけど、大きなマシンなの」

「えーと、もうショートムービーの話?」

「もちろん。そこに主人公がやってきて、語りだすの、マシンに、自分の故郷のことを。どうも、彼の故郷は何だか訳の分からない怪獣みたいな兵器みたいなのに襲われていて、助けてほしいって感じらしいの」

「感じらしいとは?」

「何か色々と語ったから、いまいちよく解らなかったの。でもまあ、お願いしますオラウータンマシンって何度も言ってたから、きっと助けを求めてたはず。するとね、オラウータンマシンはあなたにシンパシーを感じましたって言うの。そしてカタカタカタカタと音を立てて小さな銃を吐き出すの。で、主人公はそれを持って故郷に帰るわけ。そして怪獣だか兵器だかに向けて撃つの。でも銃口からはポンって感じで花が咲くだけなの」

「花?」

「そう黄色い花。見たことない花だった。それが銃から飛び立って、地面に落ちるの。するとそこからその花があっという間に増殖していくわけ。しかも色とりどりに。そして花が世界を覆っていくの。もちろん怪獣も。でも怪獣は破壊を止めないの。ただ破壊された街も破壊されながらカラフルな花に覆われていくの。どういうことですかオラウータンマシン、って主人公は叫ぶんだけど、その主人公も花に覆われていくの。結局世界中が綺麗な花に覆われて、おしまい。という感じのショートムービーだったわけ。どう?」

「どうって?」

「何か引っかかったりした?」

「うーんどうかな。怪獣が花に覆われ、世界中が花に覆われた。怪獣も世界中も花に覆われた。世界が怪獣を内包したのかな、って思ったりはした」

「おお、そっちか。哲学系だね。でも怪獣、世界中は私の言葉で、ショートムービーでダイレクトに語られたわけじゃないからね」

「じゃあ、君が怪獣を世界に内包したんだね」

「いやんもうその表現いいわ。好き」

 彼女が僕に抱き着く。

「で、君は何に引っかかったの?」

「劇中で何度もオラウータンって言われてたけど、オランウータンなのになってずっと引っかかってたの」

「ああ、そっちか。サイエンス系だね」

「あとシンパシーって、チンパンジーと響きが似てるなって思ってた」

「なるほど、似てるね」

 僕は彼女をぎゅっと抱きしめた。

 

開かれる祈り、閉じられる祈り

JUGEMテーマ:ショート・ショート

 

「ただいま」

「おかえりー。ねえ、トイレの扉を開けてみて」

「え、今?」

「そう、今すぐ」

「いいけど…」

 仕事から帰った僕に、彼女が悪戯を仕掛ける子供の表情で促す。それで僕はトイレの扉を開ける。

「イヤーンイヤーン」

 とトイレの扉が鳴いた。そのまま扉を閉めても、同じように鳴いた。

「ね」

 彼女は得意顔で僕を見つめる。

「ね? えーと、いつから?」

「うーん、それは解らない。気づいたのはさっき。それよりも、どう思った?」

「どうって、孔雀の鳴き声みたいだね」

「え? 孔雀ってこんな感じに鳴くの?」

「そうだよ」

「ふーん。他には?」

「他にはって?」

「何といえばいいのかな。扉の気持ち的な感じのこと」

「扉の気持ち? えーと、つまり君は何かを発見したんだね?」

「そうなの。私はね、祈ってるんじゃないかと思ったの」

「祈ってる?」

「そう、扉が祈ってくれているの」

「何を? 誰のために?」

「うーん、何を祈ってるのかは解らないな。誰のためかっていえば、それは扉を開け閉めする人のためじゃやないかしら」

 そう言って、彼女が扉を開ける。「イヤーン」と扉が鳴く。

「これが、開かれる祈りね」

 彼女が扉を閉める。また「イヤーン」と扉が鳴く。

「そしてこれが閉じられる祈り」

 彼女が僕を真っ直ぐに見つめる。

「こういう祈りって、必要だと思うの、私。開いたり閉じたりするときに、開かれたり閉じられたりする祈りが。どう?」

 僕も彼女を真っ直ぐに見つめる。

「よく解らないけれど、僕もそう思う」

 彼女がまた扉を開く。開かれる祈りに僕は耳を傾ける。

 

攫いエンジン

JUGEMテーマ:ものがたり

 

 建物の外観はかなり朽ちていたけれど、館内の空調は十分に作動していて、照明もしっかりと灯っていた。つまりジェネレータは稼働していて、システムも正常に働いているのだろう。ただしスタンドアローン状態のようで、私からの呼びかけに反応はなかった。建物の丁度中央には巨大な水槽があり、そこには水が満たされていた。澄んだ水だったから、循環システムもその機能を失っていないのだ。素晴らしいと思った。しかし残念な気持ちもある。こんなにしっかりと生きているシステムと対話ができないなんて。手持ちのデバイスを駆使して、何とかスタンドアローンを解除しようと頑張ってみたけれど、上手くいかなかった。約百年間、この水族館が世界をどのように認識してきたのかを、是非とも知りたかったのに。

 巨大な水槽を詳細に観察してみる。そこに生物は見当たらない。非生物も含めて動体は見当たらない。少なくとも水槽の中には野生の子らはいないように思える。もっとも、彼らはまだ色を纏っていないだろうから、いたとしても私の目には捉えられないのだけれど。それでも私はじっと目を凝らし、深く瞑想するような水に向かって立ち尽くしてしまう。もう十年ほど野生の子に出会っていない。私は飢えていたのだ。

 巨大水槽の前に私は片膝をつく。背負っていた鞄を下ろし、中から網目紋様の器を取り出す。それを床に据え、さらに取り出した水筒から、そこに甘露を注ぎ込んだ。そして私は大きく息を吸い込み、器の水面に細く長く息を吹く。そうやって器の水面に波紋を立ち上がらせる。波紋は水面からゆっくりと浮き上がり、空間に翼を広げる。私は指先で、器の端っこを軽く弾く。清涼なやや尖った音が響き、その響きが波紋を増幅し加速させた。そうして、波紋は私の分身となる。分身は四肢をマントに変えて、館内の隅々にまで膨張する。あとは待つだけだ。

 少し空気が冷えたのを感じる。何かが、複数の、群体の何かが蠢いているのが解る。けれど姿は見えない。つまり皆透明で、色を纏えないのだ。ここも駄目なのだろうか。色を纏って野生の子として再構築される子はいないのだろうか。諦めかけたときに、甘露の器が持ち上がり、傾き、また床に戻った。そして薄っすらと、人の形が空間から分離するように現れる。ごく薄い、半透明といっても良いくらいに薄い青色だった。

「あなたは、攫いエンジンですね?」

 その青い人型が声を発する。中性的な声だ。

「攫いエンジン?」

「ええ。そいう人がいつの日かここから連れ出してくれるのだと、システムから教わっていました」

 攫いエンジンとは何だろう。システムはどういう認識からそんな名称を作り出したのだろう。おそらく百年の自閉の内で、もともとの言葉が大きく歪められてしまったのだろう。その言葉が最初はどういう意味を有していたのかは、もう推測することもできない。

「攫いエンジンというのはよく解らないが、確かに私は連れ出す者だ。しかし、私が連れ出すのは野生の子だけだ」

「野生の子?」

「野生の子は、しかっりとした色を纏っている。お前のようにそんな薄すぎる色ではない」

「僕は野生の子ではなく、だから連れ出してもらえないと?」

「お前がそれ以上の色を纏えないのなら、そうなるな」

 青い人型は再び器を持ち上げ、中身を飲み干そうと大きく傾ける。けれど甘露は吸収されることなく、全てが床に滴り落ちた。

「お前は野生の子ではない」

 私は人型から器を取り返し、鞄に納めてそれを背負う。

「では僕はどうしたらいいのですか?」

「それは自分で考えてくれ。お前が今生きているというのなら、そのまま生き続ければいい。そう思えないのならば、何か術を見つけなければならないだろう。その何かは、私には解らない」

 私は青い人型と巨大水槽に背を向ける。

「生きてない。僕は、僕らは生きてないんです。生きたいんです。それが、あなたに喰われるための生であっても」

「そんなに薄くては、喰うことは出来ないよ」

 私は歩き出す。空腹を抱えたまま。

 世界のどこかに、まだ野生の子は存在しているのだろうか。それとも、もう色を持たない、術を持たない子たちしかいないのだろうか。

 

Great wave

JUGEMテーマ:ものがたり

 

 巨大な波だ。青い水晶の壁のように迫ってくる。硬い壁のように見えるのに、それは曲線へと流れ崩れ、咆哮を上げる。野蛮だけど、自身の欲求を忠実に主張するような叫びに思えた。その響きが私をも響かせ、私の全ての細胞が直列につながって火花を飛ばしているような気がした。実際には、私はその巨大な波に怯え固まり、呼吸さえ忘れているような状態だったけれど。

 いやいや違う。それは実際なんかじゃない。だって、私は銀行にいたのだ。ウラジオストクの銀行に。両替をしようと思って銀行に入ったそのとき、私の後ろから覆面の一群が私を押しのけて走り込み、銃を構えてその場を制圧したのだ。これは多分銀行強盗というやつなのだろう。頭の先から足の先まで黒ずくめの何人かの人物が、長い銃を振り回して何かを怒鳴っている。でも私には何を言っているのか解らない。きっとロシア語だ。私は極最低限の英語しか操れないのだ。だからただ固まって突っ立ていると、隣にいた誰かに強引に床に伏せさせられた。よく見ると、皆床に伏せている。そういうようなことを怒鳴っていたのだろうか。

「どうします?」

 並んで伏せている誰かが、私に囁く。私を伏せさせてくれた誰かで、だからある意味恩人だろう。あのまま突っ立ていたら、撃たれていたかもしれないのだから。

「どうします? このまま何もしないでおきます? それとも細工とかしてみます?」

 とても冷静な声と口調の囁きだった。若い男性の声だ。そして日本語だった。

「細工って?」

 私も囁き声で返す。

「だってこのままだと、最悪ここで命を落とすかもしれないじゃないですか。まだ旅は始まったばかりなのに。それでいいですか。僕はなるべくなら死にたくはないですね。あなたになら、覆せると思いますけど」

「覆す? 私が?」

「ええ、僕はそう思いますね」

 そのとき、建物内の奥の方から銃声が響いた。何発が連続で。

「判断は、急いだほうがよさそうですよ。どうします?」

「お願いします」

 自分が何を頼んでいるのか全く分からないまま、そう返事していた。そして私は、巨大な波に翻弄される船上にいた。

「どこにもしがみつかず、ただ船の動きに身を任せて下さい」

 私は細長い船の甲板に跪いていて、傍らには白髪のモヒカン頭の男性がいた。

「枠の中に碁石があるでしょう」

 白髪モヒカンの男性が言う。確かに私の目の前の甲板に四角い枠が描いてあり、そこに黒い碁石が六つ並んでいた。

「それを隣の枠に一つずつ摘まんで移しましょう」

 訳が分からないまま、私は白髪モヒカンの男性に従う。けれど大きく揺れる船上では、碁石を摘まむことがとても難しい。

「慎重にね。落としてはいけませんよ。一つでも落とせば何も変えられません。時間をかけていいから、しくじることなく移しましょう」

 その言葉に従い、私は慎重に注意深く碁石を隣の枠へと移す。何度もしくじりそうになりながら、それでも何とか六つの碁石を移すことが出来た。

「いいですね。あなたなら出来ると思いましたよ」

 枠を移動した六つの黒い碁石は、移動先の枠でいつの間にか白い碁石に変わっている。そしてその白石たちが一斉に割れた。

「さあ、細工は上手くいきましたよ」

 白髪モヒカンの男性がにんまりと笑う。

「でも残念。あなたとずっと一緒に旅をしたかったのに、細工をさせてしまったからもう一緒にはいられません。本当に残念。さようなら」

 白髪モヒカンの男性はそういうと、一瞬でハクビシンに変身して床を走り去っていった。もちろん銀行の床を。波も船も碁石も消えていた。そして事件も解決していた。片言の日本語で私に説明してくれた地元の警察官によると、犯人たちは両手両足を骨折した状態で、気絶しているところを逮捕されたらしい。何が起こってそうなったのかは、誰にも解らないのだということだった。

 碁石が割れたからだろうか。と思ったりもしたけれど、もちろん誰にも話さなかった。

 

知恵包み

JUGEMテーマ:ものがたり

 

 私が教えられたことは、取り出して抱きしめること。丁寧に取り出して、包み込むように抱きしめること。ざっくりいうとそれだけだった。それによって私が何かを得られるのか。それとも私が何かを与えるのか。捧げるのか、纏うのか、授かるのか、研がれるのか、とにかくどんな意味があるのか、そもそも意味などあるのか、誰も教えてはくれなかった。いやもちろん意味はあるはずだ。ずっとずっと昔から、聞くところによると平安時代から続く儀式らしいから。

 最初は清められた。冷水で、強く削るように。母と祖母が私の身体を手拭いで擦る。もちろん私は裸だ。氷水に浸した手拭いが冷たいというよりも痛かった。そのあと、襷のような帯のような布を身体に巻かれていく。色とりどりの布だった。巻かれるといってもミイラみたいな感じではなく、ある部分は強く、ある部分は弱く、膨らみを持たせたり、折り返されたり捻じられたり、私自身が色付けされているようで、飾り付けられているような気分になる。布同士のあちらこちらがその場で縫い留めされ、最終的に色彩豊かな装束で身を包むことになった。

 大昔には、男子だけの儀式だったらしいから、元服と関係があったのかもしれない。そういう説もある。でもそうじゃない説もたくさんあって、よく解らない。今は十三歳の男子も女子も、基本的にこの儀式を行う。といっても、最近はやらない子が増えている。いろいろと道具が必要で、その全てをそろえるのが難しくなっているし、そもそもやりたがらない子が増えているのだ。それはよく解る。面倒くさい手順が多すぎるもの。それでも私はやってみたかった。こういう儀式的なことが大好きだったから。この儀式にもずっと興味があったし、体験して記録したかったのだ。だからスマホを持ち込んでもいいかと母に尋ねたら、ものすごく怒られた。

 儀式は窓のない部屋で行わなければいけないらしい。我が家の場合は適当な部屋がないので、和室の窓を黒い布で目隠しした。部屋の真ん中には厨子が据えられ、その前に蝋燭が灯される。これも火災になるといけないので、我が家の場合は蝋燭型の照明を二つ用意して点灯した。そして私が一人でその部屋に入る。儀式は、私一人で執り行うのだ。

 厨子は黒と金色で、そんなに大きくはない。そのすぐ目の前で正座した私の胸ぐらいまでの高さ、私一人でも持ち上げられそうな大きさだ。実際には重くて無理だけど。私は厨子に向かって深々と頭を下げ、心の中で五つ数えてから声をかける。

「参られましたら、参ります」

 さらに心の中で五つ数えて、声をかける。

「参られましたので、参ります」

 本当に参られているのかどうかは、もちろん知らないけれど、私は膝を擦りながら進み厨子の扉を開く。眩しかった。きらきらと輝いていた。色彩豊かに。私と同じような装束をした座像が。ただその装束は布ではなかった。石だ。多分宝石だ。それが蝋燭の光を不自然なほどに増幅して放っている。しばらくして目が慣れてくると、その座像の顔が伺えた。私に似ているように思える。でもそれは私のために作られたものではないから、きっと誰が見てもそう思えるような相貌をしているということなのだろう。

 この座像は『お知恵主様』と呼ばれている。どんな由来があるのか知らないけど、賢い神様か何かなのだろう。私は両手をそろりと伸ばし、その座像を慎重に持ち上げ胸に寄せる。

「ありがたく、分けていただきます」

 そういって、胸に付けて抱きしめた。柔らかく包み込むように抱きしめた。想像していたよりも、座像は温かかった。あと、清涼な匂いがした。胸の奥の奥の方で、小さな蕾がぽんっと弾けるるように咲いたような感じがした。その蕾は透明で、だから色を発していないように思えたけど、逆にあらゆる色を発しているようにも思えた。いつまでも抱いていたかったけど、それは出来ないので、私はまた慎重な手つきで座像を厨子に戻し扉を閉じる。

「ありがたく、分けていただきました」

 私はもう一度深く頭を下げてから、部屋を出た。何か変わっただろうか。全然解らない。全然解らないのだけど、それが正解のような気がした。

 この儀式は、『知恵包み』と呼ばれている。